映画で登場する「ギャンブル」は間違っている?

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「ギャンブル」を描いた映画のワンシーンが、単なるモンタージュに堕してしまっているのにお気付きになったことはありませんか?

例えばこんなシーンです。80年代のキャッチーなバラードソングが流れる中、よくいそうなイケメン俳優たちが笑い、微笑み、チップをかき集めているシーンです。

こうしたシーンは私のお気に入りなのですが、実際のカジノゲームでは、80年代のキャッチーなバラードソングは使われていないことにお気づきになられたでしょうか?個人的には、バラードソングが一曲くらい流れていても良いなとは思いますが…笑。

基本的に、映画の中では、成功と大勝利が約束されています。ギャンブルは、映画の中で非常に優れたドラマ的要素として機能しており、映画はたいていその後、サスペンス、シャワーシーン、冷たいポーカースマイルなどの、息を呑むような展開となります。

「ギャンブル」と「映画」は相性が良いといっても過言ではありません。しかし、ちょっとした難点があります。現実におけるカジノゲームは、フィクションの映画とは違って、とてもストレスフルで、スリリングなものなのです。

ほとんどの場合、ギャンブルゲームを面白い映画として描くことは、結構難しいのです。このことは、リアルのポーカーゲームで、キングのフラッシュのような手が実際に出てくる頻度を想像すれば、お分かりになるでしょう。

「ポーカー」は映画の敵?

プロのポーカーを少し見ていると、すぐに気が付くことがあります。それは「特に面白くはない」ということです。プロの評論家でさえ、どれだけ状況が複雑かどうかを語ろうとしても、ずっと熱狂的になりながら語ることは苦労するものです。

つまるところ、ポーカーはあまり観戦向きの競技ではありません。ポーカーは緊張感や興奮を生み出すものというイメージがあるために、映画によく登場するにもかかわらず、その緊張感や興奮をスクリーンで表現することは難しいのです。映画でポーカーをありのままに描いても、視聴者に緊張感や興奮は伝わらないでしょう。

また、映画に出てくるイケメン俳優のようにポーカーをプレイしていたら、現金を両手でかき集めるような華麗な勝ち方はできません。ぐったり疲れて、ポーカーテーブルから足を引きずるようにして離れるのが関の山でしょう。

実際のところ、どんなに名老師の指導を受けても、深い洞察力を習得しても、ポーカーで次々と奇跡的な勝利を収めるヒーローになる可能性はとてつもなく低いのです。

リアリティ vs クリエイティビティ

映画とは、見どころのあるシーンのみをつなぎ合わせていくことで、利益を生むエンターテイメントであります。そうでなければ、普通に朝食をとったり、トイレに行ったりするシーンを何時間も見続けることになってしまいますよね。もちろん、見どころのあるシーン以外にも、画面の外で小さなあれこれが起きている、と観客は認識しており、作り手はそれを前提において映画を制作しています。

しかし、映画が「ギャンブル」全般に対して歪んだ視点を持っていることは認めざるえません。もちろん、あの「カンフー」についても同じことが言えるかもしれませんが、ここではギャンブルの話のみに留めておきます。

少なくとも、映画の登場人物がハイカード(ブタ)で次々と勝つことがあっても良いと思います。これは、いつもオッズに逆らて、ロイヤルフラッシュやストレート、エースのフォー・オブ・ア・カインド (別名 フォーカード)などの勝ち札を出すよりもずっと現実的です。

真面目な話、実際のポーカーゲームでロイヤルフラッシュを目にしたことは何回ありますか?せいぜい片手で数えられるくらいでしょう。